マルサの事件簿⑤ 反面調査で不正が発覚

■運命を変えた「渋滞」
 工作機械業界は、大型の機械本体のほかに治具や工具、補修部品などのこまごまとした取引が多い。一つひとつは小さな金額でも、総量が大きくなれば数十万円~数百万円の取引が、毎月発生することになる。町工場の中には、そうした取引を月末に現金決済しているところもまだ多い。中堅の工作機械商社、関東工機で発覚した横領事件も、そんな実態が遠因になった。 関東工機の営業マン、棚橋は東京・八王子を中心とした三多摩地域を担当し、もう10年になろうとしていた。7月末の集金日、棚橋は汗を拭きながら数カ所の工業団地を軽自動車で走り回り、総額100万円ほどの現金を集金して、新宿の本社まで帰りを急いでいた。 ところが、中央高速が予想以上に渋滞してしまい、本社にたどり着いた時には夜7時を回ってしまっていた。とっくに経理部の金庫は閉まっている。
「しょうがない。金は家まで持って帰るか」 さすがに100万円近い現金を夜間無人になる会社の机の中に置いておくのは不安だった。しかし、そう思った瞬間が、転落の始まりになってしまったのである。高層ビル街を抜けて新宿駅まで歩いていくと、JRの大ガードに張り付くように雑然とした飲み屋街がある。1人暮らしの棚橋は、帰りが遅くなるとここで軽く飲みながら食事をするのがいつもの習慣だった。この日も、鼻歌を歌いながらなじみの店の暖簾をくぐった。

■軽い気持ちで集金から拝借
 ビールを1本飲んで店を出たのが、夜の8時過ぎ。駅に足を向けた途端、客引きの黒服と目が合ってしまった。どうやら黒服には、客の懐具合が透けて見えるらしい。
「お客さん、いい子がいるよ。今日、入ったばっかり。お客さんと会うために入ったようなもんだよ、ホント。しかも、5千円ポッキリ!」 そんな調子のいい言葉をぽんぽん投げかけられて、扇情的なチラシを握らされると、棚橋の理性が少し緩んでしまった。「財布の中には2万円入っているから、5千円ならいいか…」黒服に案内されて店に入ると、「キャー、格好いい!」などと見え透いたお世辞を並べるホステスが立っていた。しかし、その姿を見た棚橋は息をのんだ。「髪の毛の長さから服の色まで、俺の好みとピッタリじゃないか」 店までの道すがら、黒服がさりげなく聞き出した棚橋の好みを、胸に忍ばせた無線機で店に知らせ、ホステスを「変身」させていたのだから当たり前だ。だが、舞い上がった棚橋には、そんなことを冷静に考える余裕などなかった。5千円ポッキリのはずが、店を出た時には5万円。レイカという名のホステスに、猫なで声でオーダーを頼まれるたびに、ウンウンと頷いていたのだから無理もない。財布の中身との差額=3万円は、集金した金から出すしかなかった。 「明日も集金で100万円くらい集まるから今日使った分はそこからちょっと補填すればいいさ」 次の集金から補填をし続ける自転車操業が、この瞬間から始まった。

■取引先で脱税が発覚!
 最初はほんの数万円だったが、レイカに誘われるままに通ううちに拝借する金額がどんどん膨らみ、毎月数十万円になるのに、時間はかからなかった。 そうなると、会社にも取引先にも怪しまれないために、きっちりと“二重帳簿”まで作り始めた。
どの取引先からの集金をいつ、いくら使い込んだのかを管理して、1カ月以内に必ず埋め合わせるようにしたのである。 そんなことが1年ほど続いた8月、お盆休み前でのんびりムードが漂う関東工機本社を、マルサの鈴木査察官が訪ねた。 「取引先に、八王子の橋本金属という会社がありますね。その関係の帳簿類をすべて見せてください」 どうやら、橋本金属の脱税調査の一環らしい。鈴木の要請に経理部長の岡田は素直に応じ、過去5年分の資料を手渡した。ところが、それから1週間後、再び鈴木が岡田を訪ね、こう切り出した。 「橋本金属の帳簿と御社の帳簿が、ここ1年ほど合わないんですが、原因は、御社の帳簿にあるようです」 血相を変えて反論する岡田を手で制しながら、鈴木はこう付け加えた。「そうなると、社員の誰かが経理部に入金する前に着服していることになりますね」岡田はこの言葉をきっかけに、極秘に社内調査を始めた。そして、棚橋の横領があぶり出されたのである。岡田に呼び出された棚橋は、すべてを認めるしかなかった。「全額を弁済すれば懲戒解雇にはしない」との岡田の温情にすがり、棚橋は翌日辞表を提出。退職金を全額弁済に充てることで、棚橋は関東工機を去っていった。
「レイカのせいで、俺の夏は本当に冷夏になったよなぁ」そんな自嘲とともに、棚橋は今、ハローワークに通っている。