マルサの事件簿⑨ 損金処理の悪用が密告で明るみに

■貸し倒れ損失処理を悪用

 たばこの煙が充満する狭い会議室で、五反田支店長を務める田口は、窒息しそうな思いだった。たばこを吸わないという肉体的な問題もあるが、この会議の雰囲気についていけないものを感じていたからだ。田口が勤めているのは、首都圏に32店舗の支店を展開する消費者金融会社・即決金融だ。毎月、月初に全支店長が神田駅前の本社に集められて、前月の実績と今月の目標を報告させられるのである。報告にはもちろん営業成績が含まれているのだが、それは単なる売り上げや利益だけではなかった。即決金融の社内用語で「マルヨ」と呼ぶ、いわゆる“夜逃げ客”の数と目標も発表しなければならなったのである。普通の金融会社なら、逃げる客は困りものだが、即決金融ではかなり事情が異なる。貸した相手が行方不明になり、督促状が配達不能で返送されてきて1年たてば、税務上は貸し倒れ損失処理をすることが可能だ。損金計上することで利益が圧縮され、結果として貸し倒れ処理額の4割程度に相当する金額が節税可能だといわれている。ところが、実際には損金処理をした後で所在が判明し、返済を再開する債務者も多い。大手消費者金融の中には、こうした返済を簿外処理して脱税で摘発されたところもあるが、即決金融ではこの貸し倒れ損失をさらに悪用し、わざとマルヨを作って、より悪質な所得隠しを行っていたのだ。

■横暴な社長に支店長が反旗

 手口は、こうだ。①入居者が集まらないようなアパートの大家を抱きこんで、マルヨ候補者の住所地を確保する。②闇ルートで、偽造の健康保険証か運転免許証を入手する。③偽造した身分証明書を使って、店員に架空のローン契約をさせる。④貸し出した金額をそっくり貸し金庫に隠し、全額を貸し倒れ損失にする。各支店長には、毎月の利益の50%をマルヨにすることが義務付けられている。月初に目標を報告させるのは、社長の加藤が闇ルートで身分証明書を発注する準備をするためだ。  五反田支店長の田口は、暗澹たる思いで「5人」と答えた。その瞬間、加藤の罵声が襲い掛かってきた。会議で支店長の何人かが吊るし上げを食うのは、毎度のことなのである。ガラスの灰皿を投げつけられて、頭から血を流す支店長も珍しくない。「ウチの本当の貸し倒れ率は、3%しかない。貸す時には、親兄弟、子供まで住所や名前、学校、勤務先まで書かせ、逐一所在を確認している。万が一逃げられても、家族の誰かから脅し取っている。そんな非道が、許されていいのか」田口がそう思うようになったきっかけは、自分の支店の客が追い込みをかけられ、一家心中未遂を起こしたことだった。業界の貸し倒れ率は、大手業者でも6.8%に達する。即決金融の3%という数字は、それだけでも異常なのだ。「このままでは、本当に死ぬ人が出る。それなのに無理な回収を続け、巨額の脱税まで協力させられている。もうごめんだ」 支店長会議の翌週、田口は辞表を提出し、怒りとともにマルサに通報することを決意したのである。

■尾行1年で脱税を摘発

 マルサで匿名の封書を受け取ったのは、情報部門の岡本だった。ワープロ打ちの告発状からは、密告がバレることを恐れる通報者の気持ちが察せられる。何よりも、そこに書かれた詳細な内容は信憑性の高さを感じさせ、岡本は一読して「このタマリは、デカい」と確信した。タマリとは不正蓄財のことで、1億円を超えなければマルサの出番はなくなる。しかし、告発状によると、タマリは毎月全社で5千万円近いという。「年間6億円か!」 田口はさっそく内偵に取り掛かり、即決金融の過去5年間の会計状況を精査し、時効前のタマリの総額を28億円以上と推定した。同時に、社長の加藤を尾行し、支店長会議に持ってこさせている前月分の不正資金をどこに隠しているのか、確認したのである。1年にわたる尾行の結果、加藤は都銀の5支店と特殊関係人宅に分散して持ち込んでいるらしいことが分かった。岡本は報告書をまとめると、情報部門を統括する査察総括第1課に提出。報告書を読んだ1課はすぐにガサの実施部門を束ねる査察総括第2課に連絡。2課では詳細なガサの日程を詰めると同時に地検との折衝を始めたのである。実施部門は巨額脱税事案に色めきたち、支店長会議の時間を狙って即決金融本社とタマリを隠匿している都銀の支店、特殊関係人宅などを100人体制で急襲した。査察官が会議室に踏み込むと、加藤は投げつけようとしていた灰皿をあわてて手からすべり落とし、「何もしゃべるんじゃないぞ!」と支店長たちを恫喝した。しかし、それは徒労だった。後日、一人ずつ呼び出された支店長たちは、最初のうちこそ黙秘していたが、「税務調査に黙秘権はないんですよ。黙っていたら、それだけで不答弁罪になりますよ」と諭されると、あっさりと自供を始めたのである。支店長たちも、非人道的な加藤には反発していたのだろう。